東大寺「お水取り」 鎌倉時代からお水取りを支える地域

東大寺「お水取り」 鎌倉時代からお水取りを支える地域

3月12日深更(13日の午前3時過ぎ)、東大寺二月堂が建つ丘陵の下にある閼伽井屋(あかいや・仏に供える水を汲む井戸がある建物)から、今年も「香水(こうずい)」が汲み上げられ、二月堂に納められた。東大寺修二会(しゅにえ)の、お水取りという通称の由来である。

「お水取り」は“水と火の行”と表現されることが多い。汲み上げられる聖なる水、二月堂の舞台欄干で打ち振られる籠松明の火の粉の滝など、印象的な情景で「お水取り」は全国に知られている。

その中でも大変な迫力を持つ“火の行”が、3月12日から14日の深夜に行われる「達陀(だったん)」だ。東大寺二月堂は現在、国宝建造物だが、その堂内で長さ約3メートル、直径約60センチの松明を曳き廻すのである。

奈良 東大寺二月堂に松明木を奉納する一ノ井地区の人たち:CBCテレビ『チャント!』

「お水取り」に参加する「練行衆(れんぎょうしゅう)」と呼ばれる僧侶が、達陀帽という金襴で飾られたシルクロード風な冠りもので天上界の八天に扮し、この行を行う。中近東の音楽を思わせる、法螺貝や鈴や錫杖(しゃくじょう)の響きのなか、内陣を曳き廻され、正面に何度も突き出される。「お水取り」のなかでも重要な行事となっている。

「お水取り」は、2月20日から3月14日まで、11名の練行衆と彼らを支える諸役の人々28名が鎌倉時代から江戸時代の歴史的建造物の中で、日常の生活から切り離された「参籠(さんろう)」という、いわば合宿生活をしながら行われる。「お水取り」の法会や参籠生活で必要な品々の調達は大変である。現在、その多くが寄進で整えられているが、「達陀」の松明の芯(しん)となる木の調達は中世以来の伝統に支えられている。

雪の残る山から松明木に用いるヒノキを伐採(三重県名張市):CBCテレビ『チャント!』

三重県名張市赤目町一ノ井地区、毎年2月11日「松明山(たいまつやま)」のまだ雪が残る道を100人ほどの人々が登り、樹齢80年から100年ほどのヒノキを伐り倒し、長さ36センチ、幅9センチのくさび形、1200枚の板に小割りして、3月12日(昨年、今年は新型コロナのため4月13日)、東大寺に納められる。

今年で775回目、鎌倉時代中期の建長年間に始められたと伝えられるこの寄進は、すでに宝治3年(1249年)の文献に見られるが、東大寺の荘園が非常に進んだ中世の伊賀国にこの地区はあり、一ノ井地区の水田は当時、松明料田として二月堂に寄進されていたことが知られる。今でも結婚式を「華燭(かしょく)の典」というように、多くの木を用い、闇を照らす松明は、近代以前、非常に贅沢なことだった。

一ノ井地区を含む、現在の名張市を中心とする黒田荘は、領主である東大寺と「悪党」とよばれた地元荘民とその集団との対立が、荘園あるいは「悪党」といった中世史研究において著名な地域である。

その一ノ井地区から奈良 東大寺まで山越えで約36キロ、以前は1人約30キロの荷をかつぎ、約10時間かけて歩いたが、現在は一部バスを用いて5時間で到着する。途中、沿道の住民からもてなしを受けたり、早春の行事として親しまれている。

ヒノキを松明に使う板木に調える(三重県名張市):CBCテレビ『チャント!』

現在、「伊賀一ノ井松明講による一ノ井の松明調進行事」として、名張市無形民俗文化財に指定されているこの行事を、CBCテレビでは、1985年から数度にわたって取材し放送した。

近年では過疎化で世帯数も減り、「伊賀一ノ井松明講」以外の地域の住民も参加するようになったが、大きな盛り上がりをみせているという。

東大寺「お水取り」には、農耕に由来し春を前に今年の豊作を祈る意味を持つと思われる儀礼も多く含まれている。「春水 四澤に満つ」という陶淵明(とう えんめい)の詩の一節があるが、雪解けの水も四方の沢に満ち豊かに流れ始める。「お水取りが終わると春が来る」といわれるように、幸せな季節の訪れを願いたいものである。
 
【by CBCテレビ解説委員・北島徹也】

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