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日本で生まれた角膜コンタクトレンズ~歴史が語る開発魂と熱きチャレンジ

日本で生まれた角膜コンタクトレンズ~歴史が語る開発魂と熱きチャレンジ
北辻利寿の日本はじめて物語
東西南北論説風

日本で生まれた角膜コンタクトレンズ~歴史が語る開発魂と熱きチャレンジ

 2022年5月17日(火) 10:45
北辻 利寿
北辻 利寿
「3MONTH Menicon Four Seasons」提供:株式会社メニコン

今や多くの人が愛用している「コンタクトレンズ」。欧米が先行して開発した“目に入れるレンズ”を日本で創り上げるまでには、ゼロから新たな何かを生み出すことに挑戦した若き開発者の熱き日々が横たわっていた。

コンタクトレンズの原理を発見したのは、16世紀の初め、イタリアの芸術家であり発明家でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチだと伝えられている。水の入った球体のガラス容器に顔をつけて、中で目を開くと周りの景色が全く違って見えた。ダ・ヴィンチは得意のイラストで水の中で見た状態を描き、視力に与える影響を伝えた。その原理に基づいて、19世紀末から欧米で「コンタクトレンズ」の開発が始まり、20世紀に入ってプラスチックの登場と共に、商品化されていった。

愛知県木曽川町(現・一宮市)に1931年(昭和6年)に生まれた田中恭一さん。太平洋戦争が終わった翌年、15歳の田中少年は、名古屋市内のメガネ店でレンズの加工などをする仕事に就いた。店には常連客として進駐軍の将校夫人が通っていたが、ある日、店にやって来て、こうつぶやいた。「私はコンタクトレンズを持っているのよ」。メガネ店で働いていただけに、田中さんは海外に“目に入れるレンズ”が存在することは知っていた。しかし、写真もましてや実物も見たことがなかった。「是非、見せて下さい!」こう頼んだものの、将校夫人は、とても大切な物であり万が一壊れたら困ると見せてくれなかった。それが田中さんの発明心に火を点けた。

「だったら自分で作ってやる」。

「装用感をチェックする田中恭一さん」提供:株式会社メニコン

田中さんの「コンタクトレンズ」作りが始まった。目に入れるレンズとは一体どんなものなのか?どんな形?材料は何?目にはどうやって入れる?痛くないのか?まさに“未知への挑戦”手探りの開発が始まった。自分の目や家族の目を見て、眼球の形をスケッチしてイメージを育てた。眼鏡のフレームに使われていたプラスチックを使って試作品に取り組んだ。戦争中に身につけた旋盤の技術やレンズの加工などの経験が役に立った。レンズの試作品ができて、次はいよいよ目に入れる段階になった。家族は猛反対したが、田中さんの意志は揺るぎない。「目は2つある。1つつぶれても大丈夫」と試作品を自分の目で試したのだった。自転車に乗って風の影響を調べたり、川で泳いで外れないかチェックしたり、開発の日々は続いた。

「MTコンタクトレンズ 製品化第一号」提供:株式会社メニコン

そして1951年(昭和26年)に、田中さんは「コンタクトレンズ」を商品化した。それまで海外にあったコンタクトレンズは、白目の部分まで覆う直径20ミリの大きなものだったが、田中さんのレンズは黒目部分のみに付ける、ほぼ半分のサイズ、11ミリという小さなものだった。この「角膜コンタクトレンズ」こそ、日本が独自に進化させた画期的な商品だった。サイズが小さく目に入れやすいことから、使う人には好評だった。

田中さんは、その翌年、自らの21歳の誕生日に「日本コンタクトレンズ研究所」を立ち上げる。デザイン、品質、何より使い心地を大切に、コンタクトレンズの開発の道を駆け抜けていく。1973年(昭和48年)には、ソフトレンズを開発した。それまでのハードレンズには、どうしても目に入れた時の違和感があったが、水分を含んだ軟らかい素材を使うことで、それをクリアした。スポーツ選手なども積極的に使用するようになった。6年後にはレンズが酸素を通す画期的なレンズも開発し、レンズを装着する時間も延びた。そして、使い捨てレンズの誕生。コンタクトレンズは日本において、大きな進化を遂げた。田中さんが始めた「日本コンタクトレンズ研究所」、現在の会社名は「株式会社メニコン」。メニコンという名前は「目にコンタクト」から取ったことは、よく知られている由来である。

「アメリカ人に作ることができて、日本人にできないはずはない」。目にレンズを入れるという新しい技術に挑んだチャレンジャーの開発魂と心意気。「コンタクトレンズはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“視界良好に”刻まれている。
          
【東西南北論説風(340)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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