「洋式トイレ」は暮らしにこうして定着した!世界に誇るニッポン開発魂の歩み

「洋式トイレ」は暮らしにこうして定着した!世界に誇るニッポン開発魂の歩み

今や当たり前のように生活の中にある「洋式トイレ」の便座、明治時代にイギリスから持ち込まれた。しかし、この“腰掛式”便器を使おうとする日本人はほとんどいなかった。ゼロからスタートした「洋式トイレ」日本での発展史を歩んでみた。

「製陶研究所での作業風景」提供:TOTO株式会社

日本の便器は伝統的に「和式」と呼ばれる“しゃがみ込んで使う”スタイルだった。そんな中、「洋式」と呼ばれる便器作りに取り組んだ人物がいた。大倉和親さん、東京生まれの実業家で、大倉さんは愛知県愛知郡、現在の名古屋市内に「日本陶器合名会社」(現・株式会社ノリタケカンパニーリミテド)を設立し陶磁器作りを進めるが、父親の孫兵衛さんと視察に訪れたヨーロッパで真っ白な便器に出会う。帰国した大倉さんは、会社の工場内に新たな製品を開発する「製陶研究所」を作り、「洋式トイレ」の開発に取りかかった。そして1914年(大正3年)、国産初の洋式トイレ「陶製腰掛式水洗便器」が誕生した。大倉さんは、後に東洋陶器株式会社(現・TOTO株式会社)の初代社長になる。

「国産初の腰掛式水洗便器」提供:TOTO株式会社

この「洋式トイレ」は、当初なかなか普及しなかった。当時の日本には「椅子の文化」がなかったからである。それまでの暮らしは、畳の上に座って食事をし、ベッドではなく座敷に布団を敷いて寝る。生活の中に“腰掛ける”という行動パターンはなかった。そのため、トイレの便器も“しゃがんで”使っていて、“腰掛けて”使うことなど想像外だったからである。

しかし「洋式トイレ」に転機が訪れた。1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催された後、高度成長期の日本では、大都市圏を中心に次々と公団住宅が建設された。
その公団住宅のトイレで標準型に選ばれたのが「洋式トイレ」だった。毎日何度も使うだけに、「洋式トイレ」は日本人の生活に受け入れられていく。

「初代のウォシュレットG」提供:TOTO株式会社

「洋式トイレ」にとっての大きな変革は“お尻を洗う”便座である。後に東洋陶器などは、米国から「ウォッシュエアシート」と呼ばれた温水洗浄便座を輸入して販売をスタート。最初は主に、痔に悩む人などの医療用として使われていたが、初代社長である大倉さんの企業理念「良品の供給」をめざし、これも国産の開発をめざす。輸入販売から3年後の1967年には伊奈製陶(現・株式会社LIXIL)、続いて東洋陶器(現・TOTO株式会社)が、日本製の温水洗浄便座を発売した。LIXILは「シャワートイレ」、TOTOは「ウォシュレット」を登録商標にしている。

TOTOの商品開発史には、開発への苦労が克明に綴られている。
課題は多かった。洗浄水を出すノズルの長さをどうするか?肛門の位置は人によって微妙に差がある。社員300人にモニターとして試作品を使用してもらい、平均的な長さを探った。さらに、温水の温度、便座の温度、水が噴き出す角度、洗浄後に乾燥させる温風の温度など、ひとつひとつの課題を細やかに解決していった。TOTO「ウォシュレット」は1982年のテレビコマーシャルで一気に広まっていく。その年の流行語にもなった「お尻だって洗ってほしい」。このインパクトある言葉と共に、温水洗浄便座は「洋式トイレ」に新たな歴史のページを加えたのだった。温水洗浄便座は今も進化を続けていて、タンクレスが登場、節水面でも格段の進歩を遂げるなど、海外でも高い評価を得ている。

「最新のトイレ『ネオレストNX』」提供:TOTO株式会社

「洋式」と呼ばれていた便器を、押しも押されもしない「日本式」に成長させたニッポン。まさに“トイレ先進国”という称号に相応しい開発力を世界に見せつけている。「洋式トイレはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが刻まれている。

          
【東西南北論説風(302)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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