日本で生まれた「カーナビ」~ドライブに欠かせない夢の案内システム誕生史

日本で生まれた「カーナビ」~ドライブに欠かせない夢の案内システム誕生史

その画面モニターが運転席の横に初めて付いた時に驚いた人も多いのではないだろうか?映し出されるのは地図、そして目的地への道路ルート。今でこそおなじみの「カーナビ(カーナビゲーションシステム)」は日本で発明された。

運転する車を自動的に目的地まで案内してくれる、そんな夢のシステムに挑戦したのは、本田宗一郎さんが戦後まもない1948年(昭和23年)に創業した本田技研工業だった。 オートバイや自動車のメーカーとして「HONDA」は世界的なブランドに成長した。

高度成長期が進む1970年代、クルマ社会は大きな問題と直面していた。増え続ける自動車の数、それに伴う渋滞によって、車での移動はドライバーにとっては心身を消耗するものであり、時に時間をロスするものでもあった。その解消方法が「クルマ自らが現在地を把握して目的地へ向かう」自動運転システムだった。

「初期のカーナビと地図(1970年代)」提供:本田技研工業

本田技研工業による開発は1976年に始まった。現在のようなデジタル地図はない時代、ドライバーはまず「出発地点」と「目的地」を専用のペンで印した透明な地図シートを、運転席横に取り付けられた15センチ四方のブラウン管画面にセッティングしなければならなかった。開発チームは、画面の地図に車の現在地と目的地へのルートを表示する研究に全力を傾けた。その情報入手を可能にしたのが、ホンダが総力を挙げて開発した2つのセンサーだった。

1つ目は「走行距離のセンサー」、車のフロント部分に設置され、タイヤの回転数によって出発地点からの走行距離とルートを積算した。これによって現在の車の位置を把握した。2つ目は「方向を示すセンサー」、後部座席に設置され、車が東西南北どちらの方向に向かっているかを常に認識した。これが「ガスレートジャイロ」と呼ばれる機器で、世界で初めて自動車に使われた。この2つのセンサーからの情報はマイクロコンピュータ-で集約されて、地図上の道路と“合体”されて、画面に表示された。

順調に進んでいたはずの走行実験だったが、大きな問題が見つかった。何度やっても目的地から外れてしまうルートが表示されたのである。実はすべての基本となる地図自体が正確でないことが発覚したのだった。参考にした10万分の1の地図では、10メートル幅の道路はわずか0.1ミリ。細かい部分はデフォルメされ曖昧になっていた。ホンダの開発チームは自分たちで、正確な地図作りにも取り組んだ。

「最新のデジタルカーナビ」提供:本田技研工業

こうして完成した世界初の「カーナビ」は、1981年8月に発売されたが、売れ行きは芳しくなかった。価格は30万円、大学卒の初任給が月11万円の時代、中古車1台が買えるほどの高値であり、利用する側にも戸惑いがあった。それでも、ホンダがその開発技術をオープンにしたため、他の自動車メーカーも追随した。CDロムのカーナビも登場する中、軍事用だったGPSシステムも東西冷戦の終結によって使用できることになり、車の正確な位置情報など情報量は飛躍的に広がった。「カーナビ」は今や世界中でドライブに欠かせない装備品となった。

世界で最初に「カーナビ」を開発した日本のクルマ技術。ハンドルを握る人たちを案内した目的地には、見知らぬ土地でも自由に気軽に運転できるという“ドライブの楽しみ”が待っていた。日本生まれ・・・「カーナビ」は文化である。

【東西南北論説風(268)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿のコレ、日本生まれです」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして紹介します。

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