雨の日の必需品「ビニール傘」日本生まれのルーツは江戸時代の参勤交代

雨の日の必需品「ビニール傘」日本生まれのルーツは江戸時代の参勤交代

雨の季節が続く。なかなか収まらないウイルス感染への警戒もあり、日本列島は梅雨空と共に外出自粛の空気に包まれているが、それでも傘は手放せない。今や東京では「ひとりが2本持つ」とも言われるビニール傘、実は日本生まれである。

話は江戸時代にさかのぼる。八代将軍・徳川吉宗の時代から続く老舗「武田長五郎商店」、もともとは煙草を商っていたが、参勤交代の大名行列に役立てようと煙草を保存する油紙を使って、雨がっぱを作った。それをきっかけに雨具商に転向。昭和時代に入っての終戦後、進駐軍が持ち込んだビニールを使って、「雨に色が落ちる」と苦情が多かった和傘用の雨カバーを売り出したら人気爆発。ならば「ビニールを直接、傘の骨に張ってしまおう」とアイデアを発展させたことが、「ビニール傘」の誕生につながった。

暗くて視界も悪い雨の日に、なぜわざわざ視界を遮るような傘を使うのか?そんな発想から生まれた「ビニール傘」は、1964年(昭和39年)東京オリンピックをきっかけに世界進出した。観光で来日した米国の洋傘業者が、日本で生まれた透明の傘に感激した。
「ビニール傘をニューヨークで売りたい」
武田長五郎商店は「ホワイトローズ株式会社」へと屋号を替えていたが、ビニール傘は米国でも大ヒットした。ミニスカートで一世を風靡した英国のタレント、ツイッギーさんが登場した時には。ミニスカートに合うようにデザインしたビニール傘を作った。英国王室でエリザベス女王らが使ってすっかり有名になったビニール傘、そのデザインも元は日本発である。

アイデアはますます広がっていった。選挙の街頭演説用に、候補者の顔がよく見えて強風にも強いビニール傘を作った。名前は「カテール」、そう「勝てる」。寺の住職が墓地で経を読む時に、狭い場所で大人3人が余裕で入ることができるビニール傘を作った。名前は「テラ・ボゼン」。そう「寺・墓前」。折りたたみ式のビニール傘もお目見えした。「風に弱い」「たたみにくい」というマイナス面を克服したこの傘の名前は「アメマチ」。修理もできて、5年も10年も使うことができる逸品だと言う。そう「雨の街」。

江戸時代の武田長五郎から10代目となる須藤宰(つかさ)代表に、ビニール傘の丈夫さについて尋ねた時だった。傘は壊れようが丈夫であろうが関係ないという、思いがけない答が返ってきた。
「壊れない傘、丈夫な傘、それよりも傘を使う持ち主が雨に濡れないこと。とにかくこれが最も大切なこと」
きっぱりと言い切る言葉には、世界で初めての「ビニール傘」を生み出した傘職人の伝統と心意気があふれていた。「ホワイトローズは心血を注いだビニール傘を作っていきたい」

列島の一部では梅雨入りが早かっただけに、長引きそうな2021年の雨の季節。でも「ビニール傘」誕生秘話を知った今、傘を差す手にも何だか楽しさが訪れたような気がしてくる。

【東西南北論説風(236)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿のコレ、日本生まれです」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして紹介します。

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