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首里城で迎えてくれたのは「重機の音」と「焦げ臭い匂い」だった・・・

首里城で迎えてくれたのは「重機の音」と「焦げ臭い匂い」だった・・・
東西南北論説風

首里城で迎えてくれたのは「重機の音」と「焦げ臭い匂い」だった・・・

 2020年3月6日(金) 15:50
北辻 利寿
北辻 利寿

首里城を包み込んだ紅蓮の炎から4か月が経った。2020年2月下旬、沖縄を訪れる機会があり、火災があって以来、初めて首里城に足を運んだ。かつての姿を脳裏に描きながら。

首里城へ向かう悲しい坂道

守礼門をくぐって坂道を歩く。まもなく首里城の正門である歓会門(かんかいもん)が見えてくる。琉球王朝の時代、交易があった中国皇帝の使者をはじめ城を訪れる人たちを歓迎の意をこめて迎えた門。しかし、その先に広がる“風景”を知っているからこそ足は重い。
幅の広い石段を登る頃、遠くから聞こえてきたものは、重機の音だった。やがて漏刻門(ろうこくもん)を過ぎる頃に現れたてきたのは、悲しい風景。焼け落ちた正殿などの瓦礫(がれき)の山、そして屋根が焼け焦げて足場に支えられるなどして、かろうじて形を保っている建物だった。作業をしているショベルカーの姿と音が、五感の内の視覚と聴覚を刺激する中、3つ目の五感の入り口である鼻に入ってきたものは、焦げ臭い匂い。火災から4か月経っているにもかかわらず、それが漂っていることに、あらためて業火の現実に直面した思いだった。

沖縄の人たちの熱き涙と悲しみ

世界遺産に城の遺構などが登録され、観光名所として国内外から年間およそ300万人が訪れていた首里城を火事が襲ったのは、2019年10月31日未明のことだった。
正殿から出火、隣接する北殿や南殿など7棟が消失した。同時に漆器や書画など沢山の貴重な文化財も犠牲になった。沖縄県によると、建物消失の被害総額は73億円と見られる。しかし、その膨大な金額以上に、首里城消失が沖縄の人たちに心に与えた衝撃は大きかった。
城の近くに暮らす沖縄生まれの友人は、こう語った。
「現在の首里城はもともと復元されたもので、実はそれほど思いがあったわけではなかった。しかし、火事で焼けてしまった時は涙が止まらなかった。その悲しみは今も続いている」
期せずしてまったく同じ言葉を別の知人からも聞いた。その葛藤の理由が今なお自分でも整理できていないと言う。それが沖縄の人たちにとっての“首里城”という存在なのだろう。

城再建への力強き歩み

悲しみの中から復興への動きも加速している。
城の再建に向けて、全国から沖縄県や地元の那覇市に集まった寄付金は、1月末でおよそ27億円に達した。そのスピードは沖縄県の人たちも驚くほどすさまじいものだった。
瓦から漆喰(しっくい)を剥がす作業など、ボランティアによる活動も始まっている。
首里城近くにキャンパスのある沖縄県立芸術大学の学生たちは、焼け跡から石彫りや陶器などの破片集めをしている。そこから貴重な歴史的財産が少しでも復元できればという願いを込めて。

オリオンビールを飲んで植樹を支援

再建へのエールは思わぬところからも送られた。地元のオリオンビールは、首里城再建を支援するデザイン瓶やデザイン缶を数量限定で発売した。1本の売り上げから3円が寄付される先は“樹木”である。首里城正殿の柱などには、かつての琉球王朝時代から「チャーギ(イヌマキ)」というマキ科の常緑針葉樹が使われてきた。それは1992年に復元され今回消失してしまった正殿にも使用されていた。3円の寄付金は、このチャーギの植樹と育樹に活用される。息の長いプロジェクトだが、オリオンビールを飲むたびに首里城へ思いを馳せる全国各地の愛飲家が増えていくことは、歓迎すべきことだろう。

沖縄本島では2月下旬に、春の訪れを告げる南風が吹く。首里城の焼け跡を背に、石垣の踊り場から那覇の町を眺めた時、その南風が頬に優しかった。
どうか首里城にも“春”が訪れますように。再建への長き歩みはこれからも続く。

【東西南北論説風(158) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

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