立浪和義と権藤博「ダブル殿堂入り」の吉報に歓喜する竜の春

立浪和義と権藤博「ダブル殿堂入り」の吉報に歓喜する竜の春

2019年の野球殿堂入りが発表された。そしてその内容は、12球団の中でも特に中日ドラゴンズファンを沸き立たせるものだった。プレーヤー部門で立浪和義さんが、そしてエキスパート部門で権藤博さんがそれぞれ当選したのだ。ドラゴンズからのダブル殿堂入りである。

野球殿堂とドラゴンズの歴史

野球殿堂は、日本の野球に大きく貢献した人たちの功績を讃えて顕彰するため、ちょうど60年前の1959年(昭和34年)に創設された。野球殿堂博物館が毎年発表する。
もちろん今年で創設83年目という伝統チームであるドラゴンズからも、これまでに大勢の名選手が選ばれている。
この10年間では、故・江藤慎一さん(2010年)、落合博満さん(2011年)そして故・星野仙一さん(2017年)と殿堂入りしているが、今年の発表を格別な思いで受け止めたドラゴンズファンは多い。野球殿堂の長い歴史の中で、ドラゴンズで選手として活躍した2人が同時に選ばれたのは初めてのことだからだ。2006年に高木守道さんと山田久志さんという監督経験者のダブル選出があったが、選手としてドラゴンズのユニホームを着ていた立浪さんそして権藤さんという2人に対する竜党の思いはとても熱い。

立浪選手「華麗なるプレー」

立浪和義さんは、22年間のプロ選手生活をドラゴンズ一筋で過ごした。
球団史上初の高卒ルーキーでの開幕スタメン出場から始まり、数々の熱く華麗なるプレーでファンを魅了した。打撃タイトルなどには残念ながら縁はなかったものの、通算二塁打数487本は今なお破られていないプロ野球記録である。安打数の2480本も2位の高木守道さんに200本以上の差をつけて断然トップの球団記録である。
おそらくドラゴンズファンそれぞれに立浪選手の「思い出のシーン」を語ることができるであろう。それだけ多くの支持を得てきたプレーヤーだった。
私が選ぶ立浪選手の「このプレー」は2004年(平成16年)10月17日、西武ライオンズとの日本シリーズ第2戦、7回裏にライオンズのエース松坂大輔投手からライトスタンドへ放った同点3ランである。まさにバット一閃。目を閉じると今でも打球音と弾道が蘇ってくる思いがする。

権藤投手「熱投そして熱闘」

権藤博さんは、ドラゴンズに入団した年にいきなり強烈な印象を残した。
1961年(昭和36年)ルーキーとして35勝。最多勝、最優秀防御率のタイトルに加えて、もちろん新人王、さらに沢村賞も受賞した。
その年は全ゲーム数のほぼ半数69試合に投げて投球回数は実に429回を超えた。すっかりおなじみの「権藤、権藤、雨、権藤」という言葉が生まれた。私はその投球をリアルタイムで見た記憶はないが、いつも竜のマウンドに権藤投手が立っていたと伝え聞く。
残念ながら、そんな大エースを擁しながらもそのシーズンのドラゴンズは読売ジャイアンツに勝率で負けて2位。この年に優勝していたら、「エース権藤」にはMVPなどさらなる称号が加わっていたことだろう。
翌年も30勝を挙げたが投手としてはそれがピークだった。
権藤さんの殿堂入りは、1998年に横浜ベイスターズを監督として率いて日本一を達成したことも大きな理由だろう。その数年前にドラゴンズ球団幹部が「権藤には一度は是非ドラゴンズの監督をやらせたい」と語っていたことを思い出す。同じ思いであるドラゴンズファンも多いはずだ。

そんなOB2人が晴れの舞台に立った2019年もまもなくキャンプイン、そしてシーズンの開幕はすぐにやって来る。球団史上ワーストの6年連続Bクラスに低迷するドラゴンズだが、与田剛新監督の下、2011年以来のペナント奪還をめざす。そこに飛び込んできたOBのダブル殿堂入りの吉報。チームも選手たちも是非これを意気に感じて、目の前に迫る球春を駆け抜けてほしい。

【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。

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