ジャイアンツ10連覇を阻止した監督・与那嶺要さん「昇竜復活」ハワイでの祈り

ジャイアンツ10連覇を阻止した監督・与那嶺要さん「昇竜復活」ハワイでの祈り

ハワイのホノルルで中日ドラゴンズの懐かしいユニホームと出会うことができる。
ダニエル・K・イノウエ国際空港の出発ターミナル通路に、幅4メートルほどの陳列コーナーがある。アルファベットで「WALLY YONAMINE」と大きく表示されたガラスケースの中には、空港と言う場には少し珍しい野球のユニホームやトロフィーなどが展示されている。ウォーリー・ヨナミネさん。ドラゴンズの監督として讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止した名将・与那嶺要(よなみねかなめ)さんの功績を讃える展示コーナーである。

最初はアメフトの名選手

陳列コーナーよりアメフト時代の写真(左上37番)

与那嶺要さんは1925年ハワイのマウイ島に生まれた。父親は日本人、母親はハワイ移民日系2世である。展示コーナーでも紹介されているが、ウォーリー・ヨナミネさんはホノルルがあるオアフ島のファーリントン高校時代にアメリカンフットボールで“伝説のハーフバック”として活躍し、プロ入りする。しかし手首を骨折したことからアメフトを断念して野球選手の道に進んだ

戦後初の外国人プロ野球選手

1951年(昭和26年)に来日して讀賣ジャイアンツに入団、日本プロ野球界で戦後初の外国人選手だった。アメリカンフットボールで培ったスピードと闘争心で、巨人では主に先頭打者の外野手として活躍。首位打者を3度も獲得した。その最初の首位打者トロフィーが空港に飾られている。打率.361という堂々たる成績だ。3度目の首位打者だった1957年にはシーズンMVPにも選ばれている。そんな与那嶺選手がドラゴンズに移籍したのは、その4年後だった。

ドラゴンズへ移籍して打倒巨人

陳列コーナーよりトロフィー

中日の選手としての与那嶺さんの記憶は残念ながら薄い。それもそのはず、ドラゴンズの選手としてはわずか2年で現役を引退した。しかし、「監督・与那嶺要」の名は球団史に燦然と刻まれ、今なおドラゴンズファンの間で熱く語り継がれている。
監督としての3年目、1974年(昭和49年)ドラゴンズに20年ぶりのリーグ優勝をもたらした快挙のためである。高木守道、星野仙一、谷沢健一、トーマス・マーチンら、その年に発表された応援歌『燃えよドラゴンズ!』に登場する名選手たちを率いて、9連覇中だった川上哲治監督率いるジャイアンツからペナントを奪った。
陳列ケースには、15個のトロフィーや表彰盾の他に、讀賣ジャイアンツ、中日ドラゴンズ、そして西武ライオンズそれぞれのユニホームが飾られている。与那嶺さんが、選手、コーチ、監督時代に着用したものだ。ジャイアンツ時代の背番号「7」は中央の目立つ場所にある。しかし、竜党の立場としては、どうしてもドラゴンズブルーのユニホームの輝きに目が向いてしまう。

星野仙一と共にジャイアンツへ挑む

陳列コーナーより優勝盾

与那嶺監督の闘争心は、特に巨人、すなわち讀賣ジャイアンツに向かっていた。その原動力は、川上監督への対抗心だった。ドラゴンズ選手に対しても「川上と呼ぶな。テツ(哲)と呼べ!」と命じていたエピソードが複数の関係者によって語られている。それはジャイアンツ時代に、監督に就任した川上さんから構想外の選手とされて、追われるように中日に入団した怒りだった。
1974年のリーグ優勝当時の中日ベンチには、与那嶺監督の他にジャイアンツへの対抗心を燃やしていた人物が2人いた。近藤貞雄ヘッド兼投手コーチと星野仙一選手である。近藤さんはジャイアンツの投手時代に指を負傷し自由契約になり、その後ドラゴンズに移籍してマウンドに復活した。星野さんはドラフト会議でジャイアンツから指名を約束されながらも反故にされてドラゴンズに入団した。この3人の「巨人に勝ちたい」という紅蓮の炎が長嶋茂雄や王貞治らのスーパースターを擁した無敵チームの10連覇の夢を焼き尽くしたのだった。

背番号「37」の秘密を見た!

陳列コーナーよりドラゴンズ監督時代のユニホーム

ドラゴンズの監督時代、与那嶺さんの背番号は「37」だった。この背番号をつけた監督はあまり多くなく、珍しい数字だったが、その答も見つかった。棚には1944年に結成されたアメリカンフットボール学生オールスターメンバー11人の写真が展示されているが、ハーフバック与那嶺選手のゼッケンに目をやると、そこに「37」という数字を見つけることができる。アメフトそして野球、ウォーリー与那嶺さんが大切にした数字が「37」だったのだ。背番号の原点が故郷ハワイにあった。

ハワイで祈る「昇竜復活」

陳列コーナーより与那嶺要さん

与那嶺さんは2011年(平成23年)に85歳でこの世を去った。陳列棚の右側には、与那嶺さんの大きな写真が飾られている。教会らしき場所でロザリオを手にした穏やかな表情、そして遠くを見つめる眼差し。
野球の世界で活躍した日本では、かつて与那嶺監督が率いたドラゴンズが球団史上ワーストの7年連続Bクラスに低迷し、ペナントもジャイアンツに奪われた。
あのセ・リーグ優勝の歓喜からちょうど45年目の秋。
来季こそ昇竜復活を!与那嶺要さんの心の祈りが聞こえてくるような気がした。

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
      

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。

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