日本で生まれた「痛くない注射針」~メーカーと町工場の真心こめた開発秘話

日本で生まれた「痛くない注射針」~メーカーと町工場の真心こめた開発秘話

病気の予防や治療で、誰もがお世話になる「注射器」。現在のような形状が考え出されたのは、19世紀半ばのフランスである。ひとりの外科医が、浣腸用の器具の先に、パイプ状の針を取り付けて、人体に薬を注入した。注射器は、江戸時代の末期に、オランダ人の医師によって日本に持ち込まれた。明治時代には、国産のガラス製の注射器も作られるようになった。

使い捨て注射器の登場

「使い切り注射器・1963年」提供:テルモ株式会社

1921年(大正10年)に、北里柴三郎さんら医師たちが発起人となって設立された会社、現在の「テルモ株式会社」は、国産の体温計作りでも知られているが、注射器の製造にも取り組んでいた。当時は、感染という概念が薄く、ガラス製の注射器を消毒しながら使い続けていたが、注射の筒をプラスチック製にして、日本で初めて“使い捨てできる”注射器を開発した。1963年(昭和38年)に、日本で最初の「ディスポーザブル(使い捨て)注射筒」が誕生した。

新たなる注射針、それは?

時は流れて、2000年(平成12年)、注射や点滴など医療機器の開発を担当していたテルモの技術者が、病院の小児科で、糖尿病の少女の治療風景に出合った。患者は、1日に数回、インスリン注射をしなければならなかった。小さな腕に針を刺されて、懸命に痛みに耐えて注射を受ける子どもの姿を見て、テルモの担当者は思った。

「痛みの小さい注射針はできないだろうか」

町工場とのスクラム

製造方法を検討した結果、採用したのはプレス加工だった。1枚の金属の板を、金型を使いながら立体的に形にしていく方法である。しかし、注射針のような精密なものを作るには、極めて高度な技術が必要だった。メーカーや工場など100社以上に相談した結果、東京都墨田区の「岡野工業」が引き受けてくれた。従業員6人の小さな町工場だったが、糖尿病の治療に向き合う子どもたちの話を聞き、テルモと共に、痛みの小さい注射針作りに取り組むことになった。

根元は太く、先端は細い

「ナノパスと通常針の比較」提供:テルモ株式会社

皮膚で痛みを感じる部分は「痛点」と呼ばれる。人体には、わずか1センチ四方に、100個から200個の痛点があると言われていて、針がより細い方が痛みを感じにくくなる。しかし、針は細ければ細い分だけ、薬を入れる時の抵抗が大きくなり、液も出にくく、刺す瞬間とは別の痛みも伴うことになる。そこで考えたのは、従来のような均等な円筒の針ではなく「根元を太く、先端は細い」形。いわゆる“メガホン”のような筒状の針だった。

突き刺すのではなく「小さく切る」

「ナノパスの針先」提供:テルモ株式会社

薄いステンレスの金属板をプレスして、精密な針を作っていく。とにかく小さい。パイプの内部は顕微鏡でチェックして、いびつな部分を修正した。作り直した金型の数は、数百個になったという。さらに、針先はより細くしたい。肌の痛点をうまく通過するよう、その先端はわずか0.2ミリまで細くした。先端の形にも工夫した。従来の針の先端は左右対称だったが、どうしても痛みを感じる。例えば、包丁のとがった先端はチクリとするが、刃の部分は触れても痛くない。その原理を利用して、肌を「突き刺す」のではなく「小さく切る」イメージで、先端の形を円筒形ではなく“斜め”にした。

完成!世界で最も細い注射針

「先端0.2ミリのナノパス誕生・2005年」提供:テルモ株式会社

開発を始めてから5年の歳月が流れた。そして、2005年(平成17年)に、痛みの少ない注射針「ナノパス」が誕生した。世界で最も先端が細い、投薬用の注射針だった。プレス加工のため、大量生産も可能だった。1日に複数回のインスリン注射が必要な糖尿病患者は、子どもから大人まで、日本国内だけでも、100万人以上いると推定される。「痛みの少ない注射針」の誕生によって、患者の負担は格段に軽くなった。

注射針の進化は続く

「ナノパスJr.外箱」提供:テルモ株式会社

テルモの「ナノパス」開発は続き、2012年には、先端0.18ミリという、さらに極細の注射針「ナノパス34」が誕生した。さらに2019年には、小児など皮膚が薄い人のために、針の長さが3ミリという「ナノパスJr.」を開発した。医療現場に欠かすことができない注射器は、ニッポンの熱き開発魂と卓越した技術による「注射針」によって、大きな進化を遂げた。

「注射針はじめて物語」のページには、日本の医療の歩み、その確かな1ページが、“痛みを感じさせない極細の針先によって”しっかりと記されている。

【東西南北論説風(444)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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