キスしたくなる唇を色鮮やかに演出するニッポンの「口紅はじめて物語」

キスしたくなる唇を色鮮やかに演出するニッポンの「口紅はじめて物語」

「口紅」の復活劇が始まった。新型コロナウイルス対策でマスクを着用する生活が続いてきたが、本格的な夏に向けて、いよいよ外す機会が増え始めているようだ。そして、マスク生活の下、売れ行きが苦戦していた化粧品も、販売が急速に回復している。その主役は「口紅」。江戸時代の紅(べに)から始まり、唇を魅力的に彩ってきた「口紅」の日本での歩みを訪ねる。

口紅の歴史は紀元前

化粧という習慣は、古来、人類にとって大切なものだったようだ。エジプトでは、紀元前3000年頃のものと見られる「口紅」が見つかっている。脂肪や樹脂などと混ぜ合わせた顔料や染料を小さな壺にいれ、細い棒や指などにつけて、唇に塗ったようだ。そんな口紅、日本には6世紀からの飛鳥時代に、中国から伝わったと言われる。紅の花の汁から作ったもので、このベニバナはエジプト原産、オレンジ色の鮮やかな色だった。江戸時代になると、このベニバナは各地で栽培されるようになり、口紅も庶民の暮らしへと広がっていった。

江戸の紅屋、その名も「伊勢半」

「創業当時の紅猪口」提供:伊勢半本店

江戸時代の末期、1825年(文政8年)、東京の日本橋に、澤田半右衛門さんが創業した紅屋、その名は「伊勢屋半右衛門」通称「伊勢半」。当時は京都産の紅が市場を占めていたが、自分たちの手で紅を作ろうと決めて、独自の工夫を凝らして、やがて玉虫色の鮮やかな紅を作ることに成功した。「紅猪口」に入れられたこの紅は「小町紅」と呼ばれて、江戸の町で評判になる。

口紅はスティック状へ

「初代・澤田半右衛門さんの胸像」提供:伊勢半本店

明治時代の末期には、棒の形、今日の形態に近いスティック状の口紅が、欧米から日本にも入ってきた。大正時代には、日本で作られたスティック状の口紅がお目見えして、猪口型から進化していく。伊勢半も紙で巻いた口紅を発売した。米国では、ねっとりとした油性の口紅が作られて、その情報は伊勢半にももたらされた。日本では伝統的に、唇の一部に控えめに塗っていた紅も、唇全体にしっかりと塗るようにと変化していった。米国に負けない口紅を作りたい。伊勢半では、いち早く、その開発に乗り出した。

ブランド「キスミー」誕生

「『小間物化粧品業界年鑑』広告用写真」提供:伊勢半本店

昭和の時代に入ると、伊勢半は、日本国内向けに加えて、中国など海外に輸出する口紅も作るようになった。そして1933年(昭和8年)に発売した口紅には、世間があっと驚く商品名をつけたのだった。それが「キスミー」、日本語に訳せば「私にキスして」。戦前の日本では、およそ考えもつかないような大胆なネーミングで、伊勢半の口紅は評判を呼ぶ。今日まで脈々と続く「キスミー」ブランドの誕生だった。

戦火の町に“紅”の灯

太平洋戦争が始まると、口紅の原料も手に入りにくくなり、伊勢半も東京大空襲によって、蔵ひとつ残して全焼する大きな損害を受けた。しかし、6代目を継いでいた澤田亀之助さんは、蔵に残っていた油脂やセルロイドなどを使って、再び、口紅作りを始めた。つらい時だからこそ「化粧」という日常の行為は、人々を勇気づける。容器も不足していたため、成形した口紅を、まるでキャンディーのように紙で包んだ簡素なものだったが、伊勢半の気概は、敗戦によって沈む町を、少しずつ“紅色”に明るく染めていった。

「キスミー特殊口紅」誕生

「キスミースーパー口紅『主婦の友』1956年の掲載広告」提供:主婦の友社

戦後の復興が進む中、米国へ視察に行った6代目の亀之助さんは、沢山の種類の口紅がスーパーマーケットの棚に、吊るして売られている風景に出合う。女性たちは、それを選びながら、次々と買って行く。口紅は、そこまで人々の暮らしに入り込んでいた。亀之助さんは、伊勢半が生み出したブランド名「キスミー」にこだわった。1946年(昭和21年)には、「口唇に栄養を与える」というキャッチコピーの下、「キスミー特殊口紅」を発売した。耳鼻科で粘膜の治療に使われるラノリンという油脂を配合して、口紅の成分に使った。戦後の食糧難の時代に「美容だけではなく栄養を」と作られた、この特殊口紅は、伊勢半にとって最初のヒット商品となり、「キスミー」の名をますます広めることになった。

唇の魅力を艶やかに演出

「キスミーシャインリップ」提供:伊勢半本店

キスミー口紅の進化は続く。1955年(昭和30年)には、「キッスしても落ちない」というキャッチコピーで、新製品を発売した。ポスターには、今にも男女がキスしようと唇を近づける絵を使った。海外にもないような、この刺激的な宣伝は、女性たちの心に刺さり、キスミー口紅は、日本の口紅のトップブランドになった。伊勢半は、「色」だけでなく「栄養」さらに「艶」を求めた。1970年(昭和45年)に発売された「キスミーシャインリップ」は、唇に直接つけても、色のある口紅に重ね塗りしても、濡れたようなつや感を出すことに成功した。その名の通り「キスしたくなる唇」を演出した。その頃、国内の各化粧品メーカーも口紅に注力し、春と秋に発表されるイメージソングは軒並みヒット曲ランキング入りしていった。

コロナ禍にも負けない口紅

「現在の小町紅」提供:伊勢半本店

コロナ禍が続く中、伊勢半は、マスクにつきにくく落ちにくい、新たな口紅を発売した。2022年の「キス リップアーマー」は、発売直後から人気商品となり、新型コロナとの“戦い”に疲れた日本に、色鮮やかな潤いを与えた。こうして口紅の開発をしながらも、伊勢半が作り続けているものがある。それは江戸時代から受け継がれてきた「小町紅」。今や日本では、伊勢半が作るだけとなった国産の紅は、海外のメーカーからも高い評価を受けている。紅にこだわりながら創業200周年へと歩む、老舗「伊勢半」の矜持である。

ユーミンが荒井由実時代に作り自ら歌った『ルージュの伝言』はじめ、『唇よ、熱く君を語れ』『Rock'n Rouge』など、数多くの歌でも親しまれてきた口紅。作詞家の松本隆さんは『リップスティック』という作品で、口紅について「さよならの灯をともすように」「くちびるの優しさかくして、影のある大人に見せたい」と女心を表現した。口紅は、いつの時代も化粧品の主役であり、いつの時代も“紅をさす”それぞれの人生を彩っている。これまでも、そして、これからも・・・。
          
【東西南北論説風(432)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)。今回のコラムは放送では紹介していない「特別版」として執筆いたしました。

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